1980年代のスニーカーは、90年代のように「スニーカーブーム」として広く認識されることはありませんでしたが、徐々にストリートファッションの一部として根付き始めました。特に1980年代は、スニーカーのデザインが進化し、バスケットボールやランニング用など、スポーツアイテムとしての側面が強調されるようになりました。その中でも、ファッションアイテムとしての魅力が引き出され始めた時期でもあります。
1. 80年代のスニーカーの特徴
1980年代に登場したスニーカーは、主に機能性を重視したスポーツブランドのアイテムが多かったです。特にバスケットボール選手が着用することが多かったナイキやアディダスのスニーカーが注目されました。そのため、スポーツの現場で使われることが多く、ファッションとしてのスニーカーというよりも、主に機能的なアイテムとされていました。
2. 80年代の代表的なスニーカー
80年代のスニーカーには、ナイキ エアフォース1(1982年)、アディダス スーパースター(1969年からの改良モデル)などがあります。これらはスポーツ用途として非常に人気が高かったですが、やがてファッション性も兼ね備えるようになり、ストリートファッションの一部として広まりました。特にアディダス スーパースターは、ラップグループRUN-D.M.C.によるプロモーションもあり、80年代後半に大流行しました。
また、映画や音楽の影響でファッションとして広まることもあり、コンバースのハイカットスニーカーなどもファッションアイテムとして使われるようになりました。
3. 中森明菜とコンバースのハイカットスニーカー
映画『1985年公開』に登場した中森明菜さんが履いていたのは、コンバースのハイカットスニーカーです。80年代当時、コンバースはカジュアルなアイテムとして人気があり、特に若者の間で愛用されていました。中森明菜さんが履いていたコンバースのハイカットは、80年代のカジュアルファッションの象徴ともいえる存在でした。
4. 80年代スニーカーブームの前兆
80年代後半になると、スニーカーは徐々に「オシャレアイテム」として認識され始めます。特にナイキ エアジョーダンなどが登場すると、スニーカーのファッション性が強調され、ストリートファッションの一部として不可欠なアイテムとなっていきました。しかし、90年代のようなスニーカーブームはまだ起こっていませんでした。
5. まとめ
80年代のスニーカーは、機能性とスポーツ用としての側面が強く、ファッションアイテムとしての認識が広がり始めた時期でした。特にアディダス スーパースターやナイキ エアフォース1はその後のスニーカーブームに大きな影響を与えることとなります。中森明菜さんが履いていたコンバースのハイカットスニーカーも、当時のカジュアルファッションを象徴するアイテムでした。
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